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最初から規格外の場所にいるのが才能。才能についてのネットの名言

天才才能 ネット名言格言言葉

ネット上に投稿された、才能についての名言

 

そもそも努力と才能ってカテゴリが全然違うよ
才能ってのは水とか火とか風とかいった属性で 努力はその属性を持った個体の経験値って考えればいい

 

まあ才能もある
俺は何でもそこそこ器用にこなせる方だから才能なんて無いと思っていたのだが
世の中には本当に努力してもアホが治らない奴も居る、ということをバイト先で覚えた

 

成功してる人は努力って言うだろう 成功して無い人は才能って言うだろう

 

ぶっちゃけ努力できるのも才能

 

才能がないから何もしないとかアホの極み

 

スポーツだろうが勉強だろうがトップを目指すなら努力以外に才能もいる

 

なんども言うが脳も構造物
構造物である以上必ず何かしら絶対的な差はあります
筋肉の質の違いからトップクラスになれば黒人には速さで敵わないのと一緒
繰り返す
構造物である以上埋められない差は脳にも必ずあります

 

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東大の先生曰く
「努力してレベル99までは行けるけど、それでもそんなのは凡人の域にすぎない。
最初から規格外の場所にいるのが才能。しかも皮肉なことに人が努力するのはその規格外を目指してなんだ」

 

大塚明夫「声優魂」より
「酷い言い方かもしれませんが、大体の奴は〝駄目”なのです。
にもかかわらず、声優志望者たちがまるでシンデレラのような甘い成功ストーリーを思い描いてしまうのは、それを体現している役者が実際に存在するからなのでしょう。
たとえば、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイ役で有名な林原めぐみさん、そして『名探偵コナン』のコナン役でおなじみの高山みなみさん。彼女らは二人とも、二十代になるまで声優になろうなんて考えていなかったそうです。
それがあるとき突然声優を志し、あっという間にデビューしたのみならず、あれよあれよという間に一時代を築くレベルの人気声優になってしまったのだから大したものです。
言うまでもないことですが、彼女たちにあって、普通の声優志望者に欠けているものは「才能」です。
そこそこ才能のある人間が努力を重ねてやっと到達する領域に、いとも簡単に届いてしまう傑物がごく稀まれにいます。林原めぐみさんや高山みなみさんはそういう人種です。彼女たちの芝居はすごい。
実際に見ている私も心からそう思います。芝居の勉強をしたことがなかったのに何でこの領域にいるの? とぎょっとしてしまうような役者なのです。
そして、才能のない人間がどれだけ努力を重ねたところで、その領域には決して届きません。努力だけでもある程度まではいきますが、その先の一線を越えるには「才能」というパスポートがどうしても要るのです。
才能の重要さについて語るのはとても難しいことです。なぜなら、芝居ひとつとっても「センスのある奴はほっておいてもできるし、できない奴は何を教えてもできない」の一行で済んでしまう話だからです。
声優専門学校に通おうが養成所に通おうが、できない人にはできない。センスのいい人は放っておいてもどんどんうまくなる。
理想の上では、学校などはこの「できない人」を「できる人」に育て上げる場所ということになっているのでしょうが、私の見てきた限りなかなかそうもいかないようです」

 

声優になれるかどうかの才能の簡単な見分け方のひとつに
飛田展男が演じたヘルシングOVAの少佐の演説
あれを同じ喋り方で完コピできるかどうかで分かるよって
末端声優やってる親戚が法事で会った時に言ってた(少佐の演説でググれば一発ヒットする)
あの演説は一流声優の技術の極みで、マネするだけでもかなりの才能がいるんだってさ。

 

才能は同時に運命でもあるからな。丹下桜だって素であのアニメ声だからけっこうコンプレックスだったらしいし

 

私ももちろん、「産まれと才能 > 努力」だと思っている。これは私だけでなく世の中の流れとして、ひと昔前に比べてより多くの人が、「産まれと才能 > 努力」だと思うようになってきていると感じられる。
この「空気」を作り出しているのは、よく言われる格差の固定化による「努力しても報われない社会」の影響なのかも知れない。DNA解析技術の進歩により遺伝の影響が想像以上に大きいことが周知の事実となってきたからなのかも知れないし、ネットで身も蓋もない「人生のネタバレ」が進行した結果なのかも知れない。

 

何に対して努力するのか、どの部分にどれだけ努力をそそげばいいのかを見極める才能ってのが、まず最初に必要なんだよな。
ただヤミクモに汗水たらして努力したって、しょせんは自己満足。必ずしも報われるって保障はどこにもないってことだよね。

 

記憶力が優れてるとかはもちろんある
才能ってもっと多様性があると思うんだ、単純に頭がいい悪いって考えるのは大雑把すぎ
その中には物事に真剣に取り組む能力とか、努力を継続する能力とか そういう物も存在する

 

才能の無いやつが倒せるのはせいぜい「努力しない天才」レベルまでで
高いステージに行けばいくほど「才能があり効率のいい努力もする上に己の長所を熟知した戦略を組んでくる」相手ばかりになるんだから主人公は才能あったほうがいい

 

俺たち一般人が競い合うレベルでは、才能よりも努力の方が大切だと思う。
でも、どんな社会でも、ある高いレベルで競い合うには、ある程度の才能は最低限必要なんだよ。

 

才能っていうより逆才能っていうかマイナス方面に特化してる人種は「この世は才能」を痛感するな

 

塾講師やってるけど、頭の良し悪しというのは
残念ながらほぼ生まれつき決まっていると思う
特に数学的能力に関しては、生まれもっての才能が90%を占めると言ってもいい
努力と環境によって、30点を60点に、60点を90点にすることは可能だけど
0点を100点にすることはできない
全く同じ問題を初見で見せても、瞬時に問題の根底にある論理に気付く子と
どれだけ分かりやすく論理を説明しても理解できない子がいる
論理を理解できない子は、公式を丸覚えして何とか対処するけど
何故そうなるかの根本が理解できていないので、応用できなくて詰む
論理を理解できる子は、公式なんて覚えなくても論理からそれを導くことができる
そういう能力の差は小学校低学年で既に現れる
中学受験の頃には、もうどうやっても埋まらない溝ができる

 

大事なことだが、努力が成功しないのは「方法論」が間違っているから
失敗の最たる原因は「自分に才能がない分野に打ち込む」こと
モーツァルトに戦士としての才能はなかったし
アインシュタインに乗馬の才能はなかった
「自身の資質(才能)を発揮できる分野」に取り組むことが成功の第一条件

 

貧乏人が金持ちになるには

1、物凄く努力する。
2、物凄く才能がある。
3、物凄く運がいい。
4、物凄く悪いことをする。

のうちの最低どれか1つは当てはまってないと駄目。
貧乏人が普通の仕事を普通に一生懸命やっている程度では生涯貧乏は確定。

 

努力出来ない奴って本当に言い訳ばっかだよな それで自尊心は人並みにあるから始末に負えない

 

たとえなんかの才能があっても、それを見つけだす才能とか役に立つように運用する才能がなければなんの意味もないんやで

 

才能を計測するにはまず努力が必要なんだよなあ
PCだってベンチマークするやろ

 

絵は試行錯誤しながら描きまくれば見せれるレベルの画力は手に入る
だらだらせずしっかり一万時間やってやっとスタートラインだから最低その位描いてから文句たれろって感じだな

 

才能というか、吸収力だと思うね。まぁそれも才能と言えば才能なんだろうけど。
同じ25分の中でも、10のことを教えて8.9理解できる子と3.4しか理解できない子がいる。当然成績は前者の方がいい。

 

凡才はlv100がマックス。天才はlv255がマックス。経験値を貯めるのは努力。

 

ニュートンのリンゴなんていい例だ
リンゴが落ちた
→実って重くなったから落ちたんだな(凡人の壁)
→いつ頃になると落ちるから収穫はこの位でやらないと(秀才の壁)
→重くなるってどういうことだ?(天才)

 

天才は法則を作り、秀才が形を与え、凡人が歩く
当たり前だろ!を多用するのが凡人であり、秀才は変化を考え、天才は可能性を求める。

 

ある特定の分野や物事に対して、超感覚的に理解出来る。更に発展させる事が出来る。大なり小なり人間にはみんなそういう才能が備わっている。

 

頭の中で何かが組み合っていく感覚。
パターンの中に美しさを感じそれに魅了される。
凡人と天才とでは惹かれるものに違いがあり、それを追わずにはいられない。
それを求める度合いが凡人と大きく違う。
道が見えているのではなく、道しか見えていない。

 

天才が凄い努力をしているのが現実 兎に全力で走られたらどんなに頑張っても亀が勝てるわけないじゃん。

 

ブログ管理人のコメント
公の場で著名人が「才能」や「運」についてはっきり話すのは一種のタブーとされているので、結局は「努力を続けられるのが才能」という耳聞こえの良い言葉ばかりが世に蔓延しますが、スポーツ・芸能・音楽・芸術あたりの分野では、ほぼ生まれ持った才能だけがその人の命運を左右します。「負ける戦はしない」というのも勝ち続けるためには大事だと思います。

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