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逃げてもいいんです。耐えられないものを耐えようとすれば人は壊れる。為末大の名言

為末大 名言格言言葉

男子元陸上競技選手 400mハードル日本記録保持者

 

無理なこと、適性のないことで努力をしても、結局は勝つことができず、「負けた」という意識だけを引きずってしまいます。

 

成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提。

 

成功者の言葉しか世の中には残らないから『やればできる』が格言になる。

 

誰も答えは持ってないんです、あなた用の答えは。

 

個性は予定調和や空気を破る。個性は人の心をざわつかせる。だから個性を認めるとは他人と自分は違うとわかる事。あなたが許せないと思ってる誰かの考えもまた、一つの個性。

 

逃げてもいいんです。耐えられないものを耐えようとすれば人は壊れる。

 

多くの場合、何かを信じていると思っている状態は、信じようとしている状態。だから証拠を探している。

 

成功をある程度成功率が高いものにおくのであれば、努力すれば夢は叶うと思う。
でも五輪選手になるとか、かなり少ない席の話であれば誰でもできるわけではなくて、才能と、環境がまず重要だと思う。そのスポーツをやる環境に生まれた事が、努力よりも先にくる。

 

すごいと言われたい症候群も、がっかりされたくない症候群も、バカにされたくない症候群も、つまり他人にコントロールされている。

 

人生の前半は努力すれば夢は叶うでいいと思う。
でもどこかのタイミングでそれを客観視しないと人生が辛い。
努力すれば夢は叶う→叶っていない現在の自分→原因は自分の努力不足。努力原理主義を抜けられなかった人は、こんな自分を許せなくて何かを呪って生きていく。

 

自分にできることに絞って能力を伸ばしていくほうが、成功の確率は高まります。私の場合、チームプレーが苦手ですから、子供時代にサッカーなどの球技を選んでいたら、頭角を現すことはできなかったでしょう。

 

努力こそが勝利への道。そう考え続けてきましたが、才能や運が占める比率が高いと感じ始めました。どれだけ努力しても勝てない選手がいる。なぜ自分はトップになることができたのか。社会に対してどんな役割を果たすべきなのか。そんなことを考え始めました。

 

もし誰かに期待されていたら早めにがっかりさせておいた方がいい。ほっておくと人生がいつの間にか人が期待する方向に向かい始める。

 

継続は力なりは常に撤退を頭に入れている時に効力を発揮する。只ひたすらに継続を信じ過ぎると、大体積み重ね以外の発想も出てこないし、周囲にも継続を信望するように迫ってしまう。大きなイノベーションは大体何かの思い込みをやめる事が側面にある。

 

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僕も銅メダルを獲ったらゆっくりできるかなと思っていたら、「次は金メダルを獲らなければ」という話になって、「これは参ったな」と思いました。「金メダルを目指します」と口ではいいながらも、自分の実力は察していますから、どこかでそれを否定している自分がいる。そこで、金メダルという「山頂」をモチベーションにするのではなく、その山頂へと登るためにいま頑張るモチベーションをどこから得るかを考えるようにしました。そのために、生きる意味についてなど、自分なりに納得がいくまで考えました。

 

長期的なモチベーションが湧いてくるのは、「いまやっていることは確かそうだ」「この方法は間違っていない」、そして「意味がある」と感じられるときです。「自分がやっていることは、果たして合っているのだろうか」という迷いがあると、モチベーションが下がってしまいます。

 

「自分はこのくらいの者だ」という感覚が洗練されていないと、たまたまうまくいっていることや、たまたまうまくいっていないことが「すべて」だと思ってしまう。世の中の評価は移ろいやすく、褒めてくれていた人が手のひらを返したように冷たくなったり、貶めていた人がいつのまにか持ち上げてくれていたりと、自分ではコントロールできない。だからこそ、自分の中に軸を持つことが大事なのだ。

 

「可能性は無限だ」。こういう考え方を完全に否定するつもりはないけれど、だめなものはだめ、というのもひとつの優しさである。自分は、どこまでいっても自分にしかなれないのである。それに気づくと、やがて自分に合うものが見えてくる。

 

今の僕にとって、何かを「やめる」ことは「選ぶ」こと、「決める」ことに近い。もっと若いころは、「やめる」ことは「諦める」こと、「逃げる」ことだった。そのように定義するとどうしても自分を責めてしまう。

 

「勝ちやすい」ところを見きわめるこうした考えを表明することは、今の日本ではリスクが大きい。「私がこの種目を選んだのは、勝ちやすいからです」。そんなことを言おうものなら、世間の人は言うだろう。「動機が不純だ」。

 

模索することは大事です。天分や天職まではいかなくても、「これを全うすれば、自分の人生に納得がいく」ものを見つけるためには、ある程度選択の幅は必要でしょう。幅を持つことで、人生の成功や幸福に近づけると思います。

 

戦略とは、トレードオフである。つまり、諦めとセットで考えるべきものだ。だめなものはだめ、無理なものは無理。そう認めたうえで、自分の強い部分をどのように生かしてかつかということを見きわめる。

 

私にとって大きな存在だったのがライバル選手でした。競技に限らず、社会において敵との戦いは存在します。
心の中では、「ライバルなんて現れない方がいい」と思っていました。「こいつがいなければ、勝てる」と思うし、楽に頂点にたどり着けるわけですから。
でも、こうした困難な存在が目の前に現れることによって、乗り越えるべき壁が見えて必死に努力する。気がつけば、自分がかつて想定していたよりも、ずっと高いレベルに到達していました。
過去を振り返ると、自分が終われたり、新たなライバル選手が台頭してくると、私自身の好成績につながっているのです。

 

日本では早くて6歳、多くは12歳までにスポーツを始めます。たまたまその地域で盛んな種目を選択しただけなのに、指導者は「一度始めた以上、あきらめてはいけない。やりとおせ」と言う。
日本で、本人の適性と種目のミスマッチが多いのはこの構図が原因で、しかもこのミスマッチは一生解消されません。
ミスマッチの解消を「逃げ」とみなす文化は、実は日本の社会全体に強くあると思っています。

 

努力が報われる社会ではなく成果が報われる社会なんだと肌で理解するのが大人になるといふことだと思う。

 

ブログ管理人のコメント
スポーツの世界では黒人が短距離走のトップをほぼ独占しているなど、人種による能力差・才能の差が露骨に表れます。その辛酸を味わい尽くした為末氏の言葉には深さと重さが備わっています。「頑張れば夢は叶う!」という他人の示した道の先にあるのが墜落死必至の断崖絶壁…などということもあると頭に入れておきましょう。

 

為末大 名言格言セリフ為末 大(ためすえ だい、1978年5月3日 – )は、広島市佐伯区出身の男子元陸上競技選手。400mハードル日本記録保持者で、現在はスポーツコメンテーター・タレント・指導者などで活動中。株式会社R.project取締役。

2001年世界陸上エドモントン大会・2005年世界陸上ヘルシンキ大会の男子400mハードルにおいて、世界陸上選手権の2大会で銅メダルを獲得。又オリンピックには、2000年シドニー・2004年アテネ・2008年北京と、3大会連続で出場した。身長170cm、体重66kg。

2012年6月2日、ロンドンオリンピック出場の可否に関わらず、今季限りで引退する旨を述べた。同年6月8日、大阪市長居陸上競技場でおこなわれた日本選手権男子400メートル障害予選にて、2組で出場した為末はいきなり1台目のハードルを越えられず、右足を引っ掛けて転倒してしまう。完走するも組最下位に終わり、準決勝進出も絶たれたことで、現役引退を表明した。

2012年7月、地方地域の廃校や公共の宿泊施設を活用し、スポーツ合宿を中心とした宿泊事業を展開する株式会社R.projectの取締役に就任。

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