広島県広島市南区仁保出身のロックミュージシャン
金も入った、名誉も手にした。だけど、寂しさは残った。おかしいじゃないか、オレは思った。そう思ってふと見ると、幸せのレールは隣にあった。オレはそのレールに乗っていなかった。それから矢沢の幸せ探しが始まった。
負債と取り立て。こいつは苦しい。
でもオレは負けない。
何歳まで生きられるのか知らないけど、オレは役を与えられたんだ。
矢沢永吉という役を。
でもオレは負けない。
何歳まで生きられるのか知らないけど、オレは役を与えられたんだ。
矢沢永吉という役を。
言いたいのは、それひとつだよ。その生き方を人のせいにしちゃダメだ。オレも、人のせいにしないから。自分で処理する。
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自分のプライドも自分の財産でしょ。そうでしょ?
お前がどんだけ良い大学入って、どんだけ良い会社に就職しても お前が、一生かかってか.せぐ額は 矢沢の2秒
年とるってのは細胞が老けることであって魂が老けることじゃない。
自分に合ってるかどうかが、才能ってことだ。
最近、勝ち組とか負け組が流行ってるけど、スタート切っているかどうかが僕は大事だと思うね。
てめぇの人生なんだから。てめぇで走れ
人間ていうのは、必ずドアを叩かなきゃいけない時がくるのよ。 その時、叩くって勇気いるよね、怖いしさ。 どうなるのかななんて思うけど、そこで分かれるよね。 叩く人間とそうでない人間に・・・。
YouTubeって便利だな、びっくりしたよ、素晴らしい時代になった。俺の曲が気になったらどんどん見てくれたらいい、ダウンロードも歓迎。でも俺も家族や社員に飯食わせなきゃいけないから、今後はライブで頑張るよ。ライブはダウンロードできないし、お客さんも喜んでくれるだろ
何かやれるものを持っているというのは幸せ。
20代で苦労した者だけが、30代で夢の世界を見ることが出来る。
世の中で大成した人ほど、臆病だと思う。 臆病というのは本当は奥深いものだ。だって、臆病っていうのは、ある種のレーダーじゃないか。臆病なやつは、常に怖いから、次にどうしなきゃいけないか、必死で探る。探す、調べる、緻密に計算する。
オレは、いま生きるのがつらいって言っている人は、やっぱり、どこかに自分の生き方を自分で決められないって背景があると思うんだ。・・・かんじんなのは手前の足で立つことなんだ。
「後悔しない人生」なんて口じゃよく言うけど、若いころはそんなのほんとは理解できない。それが五十歳くらいになってくると、だんだん「わかるなぁ」と感じるようになる。
俺はいいけどYAZAWAが何て言うかな?
最終的には自分でドアを開けなきゃ。周りは開けてくれない、開けられないですよ。
ブログ管理人のコメント
過度のビッグマウスでありながら、それでもなおうなずいてしまう矢沢氏のカリスマ性と強い魅力。自身の人生論を語りながらも、万人の幸福に通じる真理がたくさん込められています。
過度のビッグマウスでありながら、それでもなおうなずいてしまう矢沢氏のカリスマ性と強い魅力。自身の人生論を語りながらも、万人の幸福に通じる真理がたくさん込められています。
矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年9月14日 – )は、広島県広島市南区仁保出身のロックミュージシャン。身長180cm、血液型B型。
中学時代、ラジオから流れるザ・ビートルズを聴いてロックに目覚め、更にザ・ベンチャーズの広島公演に行ったことで、すっかり感化されスターになることを夢見るようになる。
矢沢は団塊の世代であり、特にザ・ビートルズの影響を強く受けている。矢沢が最初にプロデビューを飾ったキャロルは、初期ビートルズを模範としたロックンロールをベースにしたもので高い人気を誇った。矢沢は「あと3年、キャロルを続けたかった」が、矢沢と他のメンバーとに大きな溝が生まれ解散に至った。
39歳前後のインタビューで矢沢は「オレは生涯ロックし続けるんだ」という意味のことを繰り返し語った。当時、既にロック界の顔役と言っていい存在であった矢沢に対し、世間が「大人の音楽」を求めたことに対する反発もあったが、当時の日本では40代~50代になって一線で活躍するロックシンガーは見当たらず、結果的に矢沢がその道を切り拓くことになった。
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