日本の小説家 評論家 英文学者
あせってはいけません。ただ、牛のように、図々しく進んで行くのが大事です。
道徳に加勢する者は一時の勝利者には違いないが、永久の敗北者だ。自然に従う者は一時の敗北者だが、永久の勝利者だ。
恐れてはいけません。暗いものをじっと見つめて、その中から、あなたの参考になるものをおつかみなさい。
前後を切断せよ、みだりに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に未来を属するなかれ、満身の力を込めて現在に働け。
人間は角があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。
真面目に考えよ。誠実に語れ。ひたむきに行え。汝の現今に播く種はやがて、汝の収むべき未来となって現れるべし。
自己を捨てて神に走るものは神の奴隷である。
もし人格のないものが無闇に個性を発展させようとすると、他を妨害する。権力を用いようとすると、濫用に流れる。金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです。
人間の目的は、生まれた本人が、本人自身につくったものでなければならない。
私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼等何者ぞやと気概が出ました。
精神的に向上心のないものは馬鹿だ。
古い道徳を破壊することは、新しい道徳を建立する時にだけ、許されるです。
私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。
人間は自分の力も自分で試してみないうちは分かりません。握力などは一分でためすことができるが、自分の忍耐力や文学上の力や強情の度合などは、やれるだけやってみないと、自分で自分に見当のつかないものなのです。
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職業というものは要するに、人のためにするものだということに、どうしても根本義を置かなければなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから、元はどうしても他人本位である。すでに他人本位であるからには種類の選択分量の多少すべて、他を目安にして働かなければならない。
おれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて心を安んずることができるでしょう。
私は常からこう考えています。第一に貴方がたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ち付けべく、自分のぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。
時代の風潮、自分を取り巻く環境、さまざまな価値観、それらを正しく見きわめ、自分の判断で行動できるのは、どこにも属さない「迷子」だけだ。
ブログ管理人のコメント
「こころ」や「我が輩は猫である」で知られる文豪の夏目漱石。自分の道を見つけるために「自分本位であれ」と説きながらも、究極的には自然や天に命運を任せるといった考えは視野がとても広いと感じます。
「こころ」や「我が輩は猫である」で知られる文豪の夏目漱石。自分の道を見つけるために「自分本位であれ」と説きながらも、究極的には自然や天に命運を任せるといった考えは視野がとても広いと感じます。
夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) – 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、金之助(きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。
大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。
その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。
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