自分たちは異質な商品をつくり、新しい道を探さなくてはならない。任天堂の岩田聡の名言

岩田聡 名言格言言葉

任天堂代表取締役社長

 

ゲームをしないと思っていた人たちにもゲームをしてもらう方法はある。
5歳から95歳まで誰でも同じスタートラインでゲームを楽しんでもらうのは決して不可能ではないことを脳トレは証明してくれた。

 

わたしが見つけた天才の定義があります。
人が嫌がるかもしれないことや、人が疲れて続けられないような事を、延々と続けられる人、
それが「天才」だとわたしは思うんです。

 

ウケるというのはお店で何個売れるということじゃないんです。買ってくださるのはどんなお客さんで、すぐにやめちゃったのか、それともずっと遊んでくれてるのか、どっちも1個の売上げですがそれを知るのと知らないのでは次のステップで考えることが違ってくるんですね。

 

私どもは、自分たちのライバルは何だと考えているかというと、「お客様の興味関心と時間とエネルギーを奪い合うすべてのものがライバルだ」と思っています。
特定のものだけをライバルだと考えますと、「そのライバルにいかに勝つか」という発想になるんですね。

 

同じものを出したらあかん。同じことをやって競争したらケンカの強いやつが勝つにきまっとる。任天堂は力のケンカなどするな。よそと違うから価値があるんや。前社長の山内が盛んに言っていた言葉です。

 

安心して「バカもん!」と言える人と、腫れ物に触るように叱らないといけない人がいるんですよね。で、これはねぇ、ものすごい差なんです。こちらから与えられる量も、その人が吸収できる量も、ものすごく変わってくるんですよ。

 

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自分たちは異質な商品をつくり、新しい道を探さなくてはならない。そう腹をくくったのが、新しい据え置き型(Wii)の開発に着手したころでした。
私はひとつの方向性を示しました。ゲーム人口の拡大を目指す。
かつては茶の間でコントローラーを奪い合い、ギャラリーも一緒に楽しんだ。それがコントローラーは複雑化して差し出すと後ずさりされ、ギャラリーも消え、一人暗い部屋で遊ぶイメージになってしまった。
もう一度茶の間に持ち出して家族全員で触ってもらえるものにする。

 

自分は、他の人が喜んでくれるのがうれしくて仕事をしている。それはお客さんかもしれないし、仲間かもしれないし、仕事の発注者かもしれないけど、とにかく私はまわりの人が喜んでくれるのが好きなんです。まわりの人が幸せそうになるのが自分のエネルギーなんです

 

熱狂するファンがいる一方で、実は声を出さずに立ち去った人たちが多いのではないか。
実際、ソフトの出荷額は97年をピークに下降線をたどっています。ソフト開発のコストは膨れ上がる一方なのに、売れる量は頭打ちです。
このまま過去の延長線上で仕事を続ける限り、ゆっくり死ぬのを待つことになる。

 

社長になって統計資料をみてみると、日本のゲーム産業のソフトウェア出荷額は97年から下がり続けている。取材にこられる記者も、昔はゲームをやっていたけれど、いまはやりませんという人ばかり。業界自体は明らかに先細りなのだという現実に、思わず冷や汗が流れました。えらいときに社長を引き受けてしまった、と思いました。それで、これまでゲームとは無縁だった人を引き込む以外、生き残る道はない。それを誰かがやらなければならないのなら、ウチがやろうと。それで、5歳から95歳まで遊べるゲームをつくるという路線を打ち出したのです。

 

自分が何に向いていて、何をすれば周囲に認めてもらえるかを一生懸命探していれば、必ず仕事のチャンスはくるし、そういう人のところに運も巡ってくるんじゃないでしょうか。

 

自分が何に向いているかや、どうすればそれを伸ばせるかは、頭で考えているだけでは、なかなかわからないかもしれません。私はもともとゲーム開発者であることが天職だと信じていたのに、あるとき会社の経営を任されてしまった。ところが、やっているうちに開発チームのマネジメントと会社の経営には多くの共通点があることがわかって、いまでは経営も天職だったのかもしれないと思っているくらいです。

 

わたしはいつもそうなんですが、好きか嫌いかではなく「これは、自分でやるのがいちばん合理的だ」と思えば覚悟がすぐに決まります。

 

ときには踏み慣らされた道を離れ、新しい道に入ってみる。そこで出会った偶然を活かせば非連続的な変化を起こせる。人と違うことをするのは常にリスクを伴いますが、不可能だと思ったことを可能にできる自信がつけば、みんなが新しい道に進もうとする。

 

ゲームキューブも自分たちは違うものをつくったつもりでもお客から見ると同じことをやっていた。業界全体がかかっていた病気に任天堂もかかっていた。

 

一般に、新しい提案に納得してすぐに動くのは、全体のせいぜい2割。6割が様子見、残りの2割は抵抗勢力に回るといわれていますが、新しいチャレンジに慣れているはずの社内でさえ、最初からその気になったのは2割強だったと思います。でも、私はできると信じて、ひたすら同じことを言い続けました。そのうち、先に動いてくれた2割が開発した、脳を鍛えたり犬を可愛がったりするソフトが「DS」でヒットして、これまでとはまったく異なる層が遊んでいるということがわかると、「あ、この目標はお題目じゃなくて、実現できる目標なんだ」と残りの人も動き出したという感じです。

 

レッドオーシャンでマーケットの取り合いをするなら競合に目を向けるでしょう。しかし社員数も規模も総合力も格段に勝るソニーさんやマイクロソフトさんを相手にいかにパワーゲームで勝つかではなく、任天堂のゲームに何の興味も示さなかった人たちがどうすればこっちを向いてくれるかを考えることに圧倒的な時間を使った。私は競合意識の非常に低い経営者です。

 

仕事が苦役だなんて考えたことは一度もありません。むしろどんなに苦労をしたって、それが世の中で話題になって、いろんな人が笑顔になっていくのをこの目でみられるのですから、こんなに恵まれた仕事はないと思っています。

 

ブログ管理人のコメント
ニンテンドーのゲームに限らず、新作ゲームをプレイするとかなりの確率で「おっ、この発想は新しい!」と新鮮な気持ちを覚えます。それはリスクを乗り越えて新しい道に挑戦する開発者たちのおかげだったのですね。

 

岩田聡 名言格言セリフ岩田聡(いわたさとる、1959年12月6日 – )は任天堂代表取締役社長。元プログラマーで、過去にHAL研究所に在籍していた。

岩田が大学1年時の1979年、大学の入学祝いに加えローンを組んでマイコン(PET)を購入、制限された機能の中でもプログラムを打ち込んでいったことが後のプログラマ人生の下地となる。なお、この頃からその才能は光っていたらしく、その世界では知られた存在であった。同時期に『スペースインベーダー』がブームとなったこともあり、岩田はコンピュータゲームの分野に進む意向を固めていくこととなる。

1992年に経営難に陥っていたHAL研究所の社長に指名される。桜井政博らの才能を見出し『星のカービィ』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』などのヒット作で経営建て直しに成功する。管理職や社長になってからも、時々プログラミングにも参加している。任天堂社長となった現在も「できることならプログラムを書いていたい・・」と発言している。

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