世の中全てそうして成り立ってる。
政府も、会社も、病院も、非営利団体も、宗教法人も、表と裏がある。
オレ達個人だって、環境問題は大切だと言ったり、年寄りに席を譲ったりしつつ、ゴミを適当に捨てたり、他人の女房のケ.ツを眺めてたりする。
性善説だとか、性悪説、右翼だとか左翼、正義、悪、
人間を二元論で語ろうとするやつにロクなやつはいねー。思考停止のアホゥだ。
大概の人間は、グレー、だ。
オレ達の仕事はより濃いグレーを叫弾することだろ?
自分が地球上の全人類の、全生物の命を預かってるなんて・・・。
そんな大きなことを言われても、全く実感が湧かない。
でも、お前達の未来が、今この瞬間自分にかかっているのなら・・・。
コエムシ、約束頼むな。
ウシロ、カナちゃん位は大事にしてやれ
大局的に見ればそうだとは思うけど、人間が個人感情を持つ以上、個人の視点では等価にならない。それでも一緒と言える人は自分の命のことは別にしてるのね。
だから知人の死と他人の死、どちらかを選択しなくてはいけなくなったら、私は迷わず他人の死を選ぶ。
ここ一ヶ月、本当にそのことばかり考えていました。そして、個人の死にたいした意味は、ないんだと。
でも理屈じゃなくてそれを乗り越えるのが、肉親だと思う。その感情をわかってて他の人をみるとき、この人もその親とかに大切に想われてるのかなぁって。
てめーらは全員、まもなく死ぬ。
負けねぇよ。
てめーらの乗るこのロボットは一戦闘駆動するかわりに、
操縦者の命を奪う。
てめーらは命とひきかえに、絶大な力を自由にできて、
仲間を救えるんだ。
うれしいだろ?
ぼくらは泣いたり 笑ったり 怒ったり
もう、この世の中のことはほとんど知った気になっていた。
でも本当は父や母に社会に守られているただの子供だった。
本当の悲しみや喜びや怒りはそんな日常の中にはなかった。
それを知ったのはぼくら15人が集まり
そして、あれ、あれに出会ってからだった。
この世界はおれが犠牲になってまで、守る価値があるのか?
おれが戦っても、くだらないやつはくだらないまま バカなやつはバカなまま。
だからもやまやするんだ。
おれが消える時に、この世界も消えちゃえばいいんじゃないかって。
神なんてのは数式だよ、未だ解かれない物理法則だ。
そう思っといたほうが楽だろ?
もう一つ似合わねーことやってもいいか?
男の子の夢、ってやつだからよ。
ちょっと照れるぜ。
ジアース、発進。
鬱漫画の代名詞ともされるなるたるよりはかなり緩和されたものの、それでもやっぱりキツくて重いストーリーです。人生や生命についての哲学的な名言がいっぱいです。ブログ管理人は最後に意外な形でケジメをつけたコエムシが好き。
『ぼくらの』は、鬼頭莫宏による日本の漫画、およびそれを原作としたテレビアニメ。2010年、第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。近未来の日本を舞台に、謎の超技術で作られた巨大ロボットを操り、地球を守る為に戦う少年少女たちが主人公である。物語は1話ごとに1人の子供に焦点を当てた連作形式で構成される。極限状況に直面する子供たちは、自らの人生、家族や社会とのつながり、生命の意味などを問い直してゆく。
夏休みに自然学校に参加した少年少女15人は、海岸沿いの洞窟でココペリと名乗る謎の男に出会う。子供達は「自分の作ったゲームをしないか」とココペリに誘われる。ゲームの内容は、「子供達が無敵の巨大ロボットを操縦し、地球を襲う巨大な敵を倒して地球を守る」というもの。兄のウシロに止められたカナを除く14人は、ただのコンピュータゲームだと思い、ココペリと契約を結ぶ。その晩、黒い巨大なロボットと敵が出現する。ロボットの中のコックピットに転送された子供達15人の前には、ココペリと、コエムシと名乗る口の悪いマスコットが待っていた。これが黒いロボット・ジアースの最初の戦いであった。戦闘を重ねるにつれ、子供達はゲームの真の意味を目の当たりにすることになる。
戦いを終えたココペリは姿を消し、コエムシをアドバイザーとして子供達の戦いが始まった。1人目のパイロットに選ばれた少年は、戦闘終了直後にウシロの手により海へ転落して、不慮の死を遂げたように思われた。2人目の少年が戦闘直後に突然死した際、コエムシはようやく子供達にゲームのルールを明かす。ジアースの動力源は操縦者の命であり、世界を守って死ぬか、敵に敗北して全人類と共に死ぬかという2つの選択肢しかないのだ。戦闘終了後に選ばれる次の操縦者は、次の敵が現われるまでの間、自分自身の死と向き合う事になった。
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