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死を考えることがないから、生を考えることもない。ぼくらのの名言

ぼくらの 名言格言セリフ

鬼頭莫宏による漫画 第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞

 

特に中学くらいの年代にとってはとても大切なんだ。それは人生に於いて、最高の思考の喜びを与えられた期間。日本のような先進国に限定される話ではあるけれど、今日の食事を得るために思考力を使わなくていい期間。それは生物が生存していく観点からみれば極めて特殊なことだ。

 

真実の追究の為にはウソも必要。
世の中全てそうして成り立ってる。
政府も、会社も、病院も、非営利団体も、宗教法人も、表と裏がある。
オレ達個人だって、環境問題は大切だと言ったり、年寄りに席を譲ったりしつつ、ゴミを適当に捨てたり、他人の女房のケ.ツを眺めてたりする。
性善説だとか、性悪説、右翼だとか左翼、正義、悪、
人間を二元論で語ろうとするやつにロクなやつはいねー。思考停止のアホゥだ。
大概の人間は、グレー、だ。
オレ達の仕事はより濃いグレーを叫弾することだろ?

 

信じられないよな・・・。
自分が地球上の全人類の、全生物の命を預かってるなんて・・・。
そんな大きなことを言われても、全く実感が湧かない。
でも、お前達の未来が、今この瞬間自分にかかっているのなら・・・。
コエムシ、約束頼むな。
ウシロ、カナちゃん位は大事にしてやれ

 

死を考えることがないから、生を考えることもない。

 

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残念だけどテレビやマスコミが言ってるように、命の価値はみんないっしょ、なんてことはあり得ないわ。
大局的に見ればそうだとは思うけど、人間が個人感情を持つ以上、個人の視点では等価にならない。それでも一緒と言える人は自分の命のことは別にしてるのね。

 

大概の生物は食事を得るためにその思考のほとんどを使う。そして実は人間の大人も全く変わりがない。大人も今日の自分の食事を得るために考えているに過ぎない。他の動物となんら変わりのないレベル。大人の思考は実質動物と変わらない。

 

イルカの死を悲しんでも、家畜の豚の死にいちいち涙を流す人はいない。それはそこに順番をつけているからよね。
だから知人の死と他人の死、どちらかを選択しなくてはいけなくなったら、私は迷わず他人の死を選ぶ。

 

自分が何かとつながってないなんて、寝呆けたことぬかしてんじゃねぇ。

 

それでも甘えた生き方をするとか好きで生まれたんじゃないとか、そんなことを言うようなら自ら死ぬべき。その甘えた自分の犠牲になる生命を少しでも減らすために。

 

自分で解決することができなければ、誰かに相談すればいい。もしそれができる相手がいないのなら、そういう人生を選択してきた本人が悪い。

 

自分探しとか言ってるやつも、駄目なやつだな。自分の現状に向き合わず、ありもしない虚構逃げてるだけだな。あるのは自分が将来をどうなりたいか、どこに向かいたいか、だけで、そのためにどう努力するか、だろ?

 

探さなくちゃいけない自分ってなんだ?今まで何をしてきたか、の結果が自分なんであって、その現状を認識できないなんてナンセンスだろ?今までそんな程度のことしかしてこなくて、その結果がこんなことを言い出す人間なんだから、ようするに馬鹿につける薬はない、ってことなんだろうけど。

 

振り上げたこぶし、自分に自信があれば、自分で責任をとれるのなら、それを使ってもかまわない。

 

私が今まで漠然と見ていたもの、聞いていたもの、触っていたもの、かいでいたもの、それらはすべて私に語りかけてくる。私は世界とつながっている。なんて愛おしい世界。

 

100億の命を救うためだったら、1万人位ならどうってことないだろ。

 

もっと早く、私をとりまいているものに気がつければ良かったけれど、でもいい、気がついただけでいい、この世界のことを。

 

ぼく、アクション映画って苦手なんです。ああいう映画ってたいてい一般の人達が巻き込まれて犠牲になるじゃないですか。でも観客はたいてい、巻き込まれて犠牲になる群集に関心をもたないですよね。主人公達が死んでいくことには過剰に反応するのに。

 

人は愚かしい。いつも大切なものに気がつくのが遅い。

 

まあ日本の男はそういう傾向にあるわな。愛情表現がまわりくどいつーか。

 

よさそうに見えて実はできてねーのが、一番かっこわるいじゃんよ。要は中身だよ。中身。そうすりゃ知性はにじみでるんだよ。

 

どうしてわたしは死ぬんですか?どうしてわたしが死ぬんですか?どうしてこの子が?偶然?事故?必然?因果?
ここ一ヶ月、本当にそのことばかり考えていました。そして、個人の死にたいした意味は、ないんだと。

 

自分の体をはってでも守りたい人ってさ、そんなにいるもんじゃないでしょ。やっぱりみんな自分がいちばんかわいいじゃん。
でも理屈じゃなくてそれを乗り越えるのが、肉親だと思う。その感情をわかってて他の人をみるとき、この人もその親とかに大切に想われてるのかなぁって。

 

ああ最初に謝らなかったっけ?すまねぇって。
てめーらは全員、まもなく死ぬ。

 

心配すんな、俺は普通の倍、戦闘を見てきたんだ、
負けねぇよ。

 

ま、そんな顔するな。と言っても無理か。
てめーらの乗るこのロボットは一戦闘駆動するかわりに、
操縦者の命を奪う。
てめーらは命とひきかえに、絶大な力を自由にできて、
仲間を救えるんだ。
うれしいだろ?

 

ぼくらはもう一人前で自分で何でもできると思った。
ぼくらは泣いたり 笑ったり 怒ったり
もう、この世の中のことはほとんど知った気になっていた。
でも本当は父や母に社会に守られているただの子供だった。
本当の悲しみや喜びや怒りはそんな日常の中にはなかった。
それを知ったのはぼくら15人が集まり
そして、あれ、あれに出会ってからだった。

 

頭の中のいろいろなもやもやがなくならないんだ。
この世界はおれが犠牲になってまで、守る価値があるのか?
おれが戦っても、くだらないやつはくだらないまま バカなやつはバカなまま。
だからもやまやするんだ。
おれが消える時に、この世界も消えちゃえばいいんじゃないかって。

 

ただの自然現象だよ、人格なんかねぇ。。。
神なんてのは数式だよ、未だ解かれない物理法則だ。
そう思っといたほうが楽だろ?

 

さあ、来るぜ。
もう一つ似合わねーことやってもいいか?
男の子の夢、ってやつだからよ。
ちょっと照れるぜ。
ジアース、発進。

 

ブログ管理人のコメント
鬱漫画の代名詞ともされるなるたるよりはかなり緩和されたものの、それでもやっぱりキツくて重いストーリーです。人生や生命についての哲学的な名言がいっぱいです。ブログ管理人は最後に意外な形でケジメをつけたコエムシが好き。

 

ぼくらの 名言格言言葉『ぼくらの』は、鬼頭莫宏による日本の漫画、およびそれを原作としたテレビアニメ。2010年、第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。近未来の日本を舞台に、謎の超技術で作られた巨大ロボットを操り、地球を守る為に戦う少年少女たちが主人公である。物語は1話ごとに1人の子供に焦点を当てた連作形式で構成される。極限状況に直面する子供たちは、自らの人生、家族や社会とのつながり、生命の意味などを問い直してゆく。

夏休みに自然学校に参加した少年少女15人は、海岸沿いの洞窟でココペリと名乗る謎の男に出会う。子供達は「自分の作ったゲームをしないか」とココペリに誘われる。ゲームの内容は、「子供達が無敵の巨大ロボットを操縦し、地球を襲う巨大な敵を倒して地球を守る」というもの。兄のウシロに止められたカナを除く14人は、ただのコンピュータゲームだと思い、ココペリと契約を結ぶ。その晩、黒い巨大なロボットと敵が出現する。ロボットの中のコックピットに転送された子供達15人の前には、ココペリと、コエムシと名乗る口の悪いマスコットが待っていた。これが黒いロボット・ジアースの最初の戦いであった。戦闘を重ねるにつれ、子供達はゲームの真の意味を目の当たりにすることになる。
戦いを終えたココペリは姿を消し、コエムシをアドバイザーとして子供達の戦いが始まった。1人目のパイロットに選ばれた少年は、戦闘終了直後にウシロの手により海へ転落して、不慮の死を遂げたように思われた。2人目の少年が戦闘直後に突然死した際、コエムシはようやく子供達にゲームのルールを明かす。ジアースの動力源は操縦者の命であり、世界を守って死ぬか、敵に敗北して全人類と共に死ぬかという2つの選択肢しかないのだ。戦闘終了後に選ばれる次の操縦者は、次の敵が現われるまでの間、自分自身の死と向き合う事になった。

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