小野不由美の一連の小説作品群 文庫本の売り上げはシリーズ累計750万部以上
人はね、景麒、真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときは、自然に頭が下がるものだ。
私は私だ、、、私は、私でしかない!やっとわかったんだ、、、私はただ、私自身でいたいと!王であるとか海客であるとか、そんなこと関係無い!
心に鞘はいらない。
わしのように長生きしても、まだ迷う。陽子のような若造に諭される。人というものはその程度のものじゃ。お前さんが自分を蔑んだり、軽んじたりする必要はない。
私の生まれた国はそれは豊かだったけれど、良い国だったかと問われると、そうだとは言えない。たくさんのことがひずんでいた
生きるということは嬉しいこと半分、辛いこと半分なのですよ。人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、ただその人が幸せであろうとしたからなのです。苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、それだけが人を真に幸せにするのですよ
正す、ということは、そういうことではないのかしら。そちらじゃない、こちらだと言ってあげて初めて、正すことになるのじゃない?
民のいない王に何の意味がある。国を頼むと民から託されているからこそ俺は王でいられるのだぞ!
辛いことなんてのは、忘れてしまえば終いだ。生きてりゃそんなこと、際限なくある。いちいち気に病んでも始まらんだろう。そのかわり、いいこともあるな。悪いことは忘れる、いいことは喜ぶ、そうやって生きてくしかねえんじゃないか?
自らを統治出来ぬ者に、国土を統治できるはずもない。
あなた、目があるんでしょう?耳があるでしょう?そこにあるものを目を開いて耳をそばだててちゃんと受け止めていれば、分かることだってたくさんあると思わない?
知らないことなら、これから知ればいい。全然問題じゃない
他者に虐げられても屈することのない心、災厄に襲われても挫けることのない心、不正があれば正すことを恐れず、豺虎に媚びず、わたしは慶の民にそんな不羈の民になってほしい。
裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、私のなにが傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい。
人は自らを救うしかない、ということなんだ
わたしがこの人たちより恵まれた暮らしをしているのは、その分重い責任を担っているから。祥瓊はその責任に気づかなかった。野良仕事は辛い、掃除は辛い、嫌だ嫌だと駄々をこねて逃げ出す人間を哀れむことはね、同じ仕事をしっかり果たしている人たちに対する侮辱なの!
俺1人生き延びて、小松を再興せよだと!?笑わせるな!民を見,殺しにしておいて、それは一体どんな国だ!?城の中に俺1人で、そこで何をせよというのだ!?
辛いことがあると偉いのか?辛抱してれば偉いのか?俺なら辛くないようにするけどな。
どっちを選んでもいいが、分からないときは、自分がやるべきほうを選んでおくんだ。同じ後悔をするなら、軽いほうがいいだろ。
なまじ言葉が通じれば、分かり合えないとき、いっそう虚しい。必要なのは相手の意を汲む努力をすること、こうだと決めてかからずに、相手を受け入れてあげることなのです
主上は間違ったことをなされことはございません。帷湍などはのんきだなどと言いたい放題のことを言っておりますが、王が鷹揚に構えていらっしゃるから、あの惨状の中でもわたくしどもは絶望しないでいられたのでございます。
バカをやって、それが自分の損になるだけだとわかってても、人はあえて罪に踏み込むことがある。人はおろかだ。苦しければなお、おろかになるってことだな
母親だからって、何でもわかるわけないじゃないか。大事なことはちゃんと言ってくれなくちゃ、親だってわかるわけないさ。あんたは言ったのかい?わかって欲しいことを口に出して。
誰にとってもいい子であったというのは、そう見られようとするあまり、自分というものをなくして、他人に合わせていただけなのでは・・・?
毛織物の服は恥ずかしいかい?けど、世の中のほとんどの人はそれを着てる。誰もそれを恥じねえのは、それが自分の手で働いて得た最上のものだからなんだよ。
ふざけた奴だが、暗愚ではない
私は本当に愚かだった。人の顔色を窺い、本当の自分なんかどこにもなかった。でもやっと、愚かでない自分を探そうとしている、、、これからなんだ。これから、少しずつ努力して、少しでもましな人間になれたらいいと。
善意でなければ信じられないか!?相手が優しくしてくれなければ、優しくしてはいけないのか!?
・・・そうではないだろう!?あたしが相手を信じることと、相手が私を裏切ることとは、なんの関係もなかったんだ。
そうだ、私は独りだ。だから、私のことは、私が決める!私は、だれも優しくしてくれなくても、どんなに裏切られたって、誰も信じない卑怯者にはならない!世界も他人も関係無い!私は優しくしたいからするんだ!信じたいから信じるんだ!
『十二国記』(じゅうにこくき)は、小野不由美の一連の小説作品群の呼称である。古代中国思想を基盤にした異世界ファンタジー作品。2013年時点で未完。文庫本の売り上げは、シリーズ累計750万部以上。また、2002年にNHKでテレビアニメ化されている。
2001年7月以降シリーズ新作は久しく発表されていなかったが、『yom yom vol.6』(2008年2月27日発売)にて、約6年半ぶりとなる新作、十二国記シリーズ番外編「丕緒(ひしょ)の鳥」(90枚)が掲載された。最新作は同誌vol.12(2009年9月27日発売)に掲載された、柳国を舞台とした短編「落照の獄」(150枚)。2012年4月、シリーズの刊行元が講談社から新潮社に移籍されることが発表され、同年7月以降、既刊の新装版及び新作を含む短編集、新作長編も順次刊行されることとなった。
文化、政治形態は古代中国(特に周王朝)に類似しており、官僚の力が強い絶対的な王制である。王とその家族、麒麟、一定以上の位を持つ者は神仙となり、その地位にある限りほぼ不老不死となる。王とそれを選ぶ麒麟、そして天意とは何なのかという問いが、作品全体の主題である。
日本で生まれ育った普通の女子高生・中嶋陽子は寝る度に恐ろしい気配に追われ、日を追う毎にその距離が縮まっていくという異様で怖い夢を見ていた。そんな陽子の前に、突如「ケイキ」と名乗る異装の男が現れる。ケイキは陽子を主と呼んで跪き、一方的に謎の盟約を迫る。突然の出来事に戸惑う陽子を異形の獣が襲撃、それを辛くも退けたケイキは、強引に陽子を月の影の向こうにある地図にない世界へと連れ去った。陽子はケイキから「決して剣と鞘を離さないように」と碧の玉が付いた鞘に収まった剣を渡され、「剣を振るえない」という陽子に自らのしもべの賓満・冗祐を憑依させ、陽子の意に反して陽子に襲い掛かる獣を体が勝手に動いて撃退するようにして、他のしもべに陽子を託して彼女を異世界に送り出した。
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