日本の男性コラムニスト エッセイスト 女装タレント 司会者
AKBを素直に受け入れてしまったら、私は何かに負けたんじゃないかっていう強迫観念がある
グウの音も出ないような反論方法とは、ずいぶんと勇ましいお悩みだけど
そうね…あるといえばあるし、ないといえばないわ。
そう、それは相手の愚かな挑発に乗るか乗らないか、ただそれだけのことなのよ。
そうね…あるといえばあるし、ないといえばないわ。
そう、それは相手の愚かな挑発に乗るか乗らないか、ただそれだけのことなのよ。
本当に24時間女装して過ごそうかなって思ってるくらいなのよ
本当に友達なのかしら?金の切れ目が縁の切れ目よ?
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ただ人の成功をねたんでいるだけでは、生きている価値がありません。そして、成功イコール幸せでもないもんよ。人生とは、えらく厄介なものですね。そう、自分が幸せかどうかは、自分で決めるしかないのよ。
生きるって辛くて当たり前よね。
頑張ってればいいっていう風潮はよくないわよ。
賛沢をさせる必要はないけど、親の不仲が理由で子供をさもしい気持ちにさせちゃダメ。
男の世界に合わせられる女の人じゃないと平等にならない 女性が男性に合わせることなくいられることが本当の男女平等
人間は敏感な人と鈍感な人と大きく2つに分かれるの。それだけの言い方だと鈍感な人が「ダメ」なように思えるけど、ある意味、不幸な人(敏感)と幸福な人(鈍感)なのよ。何かに気づいていちいちカリカリしてる敏感な人は不幸な人なのよ。イライラしたら負けなのよ。
頑張って勉強して男勝りになって幸せになった女見たことない。
子育てって面倒くさいことの連続よ。子育てに限らず、生きるってことは、面倒くさいことを次々と乗り越えてゆくことよ。
でも、それらから眼をそらし続けてゆけば、親子関係も、お母さん自身も、そしてもちろんお子さんも、現実を直視することのできない人間になってしまうわ。
面倒くさいことを回避しては絶対に生きてゆけないの。頑張って、面倒くさいことを。
でも、それらから眼をそらし続けてゆけば、親子関係も、お母さん自身も、そしてもちろんお子さんも、現実を直視することのできない人間になってしまうわ。
面倒くさいことを回避しては絶対に生きてゆけないの。頑張って、面倒くさいことを。
幸せの定義なんて存在しません。切りがないのよ、幸せもお悩みも。
便利になりすぎるっていうのは、どうかと思うは、ホント。
Twitterというのを「気をつけてやらないと、社会問題になります」とか言ってたら「じゃあやるな最初から!」って話じゃない
男と女が分かり合えるなんて幻想ですよ。男と女どころか、個体と個体が分かり合うなんて幻想。だから私は感情は出すべきと思ってるのよ
子連れで別居の時は、お金に困らないことを最優先に。
ネットの書き込みとほぼ変わらないことを大きなメディアがし始めちゃった
ブログ管理人のコメント
辛辣な言葉の中にも説得力と共感できる部分がこめられているマツコ氏の名言は痛快で、一度聞いたら耳から離れません。一般的な世論に染まりすぎない自分だけの視点を常に確保しておきたいですね。
辛辣な言葉の中にも説得力と共感できる部分がこめられているマツコ氏の名言は痛快で、一度聞いたら耳から離れません。一般的な世論に染まりすぎない自分だけの視点を常に確保しておきたいですね。
マツコ・デラックス(1972年10月26日 – )は、日本の男性コラムニスト、エッセイスト、女装タレント、司会者。千葉県千葉市出身。所属事務所はナチュラルエイト。
二十代後半に一度編集部を離れ、出版業界とも距離を置いて実家で引き篭もり生活を送っていた。しかし編集者時代の記事を読んでいた小説家の中村うさぎから誘いを受けて対談集『人生張ってます』の対談相手に抜擢され、その個性的な風貌やトークスキルが注目を受けた最初の出来事となった。また中村うさぎからは「あんたは書くべき人間」とその文才も高く評価され、コラムニストとして文筆活動も再開した。
こうした経緯を経て2000年頃から180×3のスリーサイズ・体重140kgの巨体に女装するというスタイルでの文筆・芸能活動を開始し、現在に至るまで用いている「マツコ・デラックス」の芸名でコラムニストとして幾つかの雑誌でコラムや人生相談の連載を持つ。
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