手塚治虫 名言格言

日本の漫画家 アニメーター アニメーション監督 戦後日本においてストーリー漫画の第一人者

 

好奇心というのは道草でもあるわけです。確かに時間の無駄ですが、必ず自分の糧になる。

 

人を信じよ、しかし、その百倍も自らを信じよ

 

僕の体験から言えることは、好きなことで、絶対にあきないものをひとつ、続けて欲しいということです。

 

あと40年ぐらい書きますよ。アイデアだけは、バーゲンセールしてもいいくらいあるんだ。

 

今ここで自分が描かなければ、誰が描くんだろう。

 

三十年たって振り返りもされない建築はまずいと思うんです。漫画だって三十年たっても読まれなけりゃ本物じゃないと思ってるんです。

 

合理化はゆとりや遊びの空間を消して、むしろ人を遠ざけることになります。

 

一攫千.金は偽りの成功。真の人生の勝負は、じっくり腰を落ち着かせてかかるべきだ。

 

ぼくたちは、かけがえのない地球に「同乗」している、仲間です。

 

時代は移り変わっても、子供たちの本質は変わらない。

 

君たち、漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。

 

反戦だの平和だのの政治的なお題目では、子供はついてこない。率先して生命の尊厳から教えていく姿勢が大事。

 

アトムは完全じゃない。なぜなら、悪い心を持たねぇからな。

 

子供は、その時点時点で常に現代人であり、また、未来人でもある。

 

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最後まで努力をするってのが、本当の生き甲斐ではないでしょうか。

 

自然への畏怖をなくし、傲慢になった人類には必ずしっぺ返しが来る。

 

人間は何万年も、あした生きるために今日を生きてきた。

 

医者は生活の安定を約束していた。しかし、僕は画が描きたかったのだ。

 

ブログ管理人のコメント
超人的な創作能力や数々の逸話が今日もなお語り継がれる手塚治虫。氏の功績は決して才能だけのたまものではなく、創作に傾ける熱意が大きな理由だと分かる名言ばかりです。ブログ管理人は手塚作品のブラック・ジャックとブッダが好きです。

 

手塚治虫 名言格言手塚 治虫(てづか おさむ、本名:手塚 治(読み同じ)、1928年(昭和3年)11月3日 – 1989年(平成元年)2月9日)は、日本の漫画家、アニメーター、アニメーション監督。 大阪帝国大学附属医学専門部を卒業、医学博士取得。血液型A型。戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画の草分け存在として活躍した。兵庫県宝塚市名誉市民。

大阪帝国大学附属医学専門部[1]在学中の1946年1月1日に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』(『少国民新聞』連載)で漫画家としてデビュー。1947年、酒井七馬原案の描き下ろし単行本『新寶島』がベストセラーとなり、大阪に赤本ブームを引き起こす。1950年より漫画雑誌に登場、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といったヒット作を次々と手がけた。

1963年、自作をもとに日本初となる30分枠のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作、現代につながる日本のテレビアニメ制作に多大な影響を及ぼした。1970年代には『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』などのヒット作を発表。また晩年にも『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』など青年漫画においても傑作を生み出す。デビューから1989年の死去まで第一線で作品を発表し続け、存命中から「マンガの神様」と評された。藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、横山光輝などをはじめ数多くの人間が彼に影響を受け、接触し漫画家を志した。

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