徳川家康 名言格言言葉

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名 三英傑の一人

 

戦いでは強い者が勝つ。
辛抱の強い者が。

 

多くを与えねば働かぬ家臣は役に立たぬ。
また、人間は豊かになりすぎると、結束が弱まり、我説を押し通す者が増えてくる。

 

人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。
急ぐべからず。

 

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。

 

いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。

 

人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」
七文字で言えば「身のほどを知れ」

 

得意絶頂のときこそ隙ができることを知れ。

 

われ志を得ざるとき忍耐この二字を守れり。
われ志を得んとするとき大胆不敵この四字を守れり。
われ志を得てのち油断大敵この四字を守れり。

 

およそ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし。

 

家臣を率いる要点は惚れられることよ。
これを別の言葉で心服とも言うが、大将は家臣から心服されねばならないのだ。

 

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私はケチだから麦飯を食べているわけではない。いま天下は乱れに乱れ、領民も安らかな日は一日もない。そんななか私一人が暖衣飽食などできるものか。私が麦飯を食っているのも、少しでも節約して軍資金に回すためなのだ。

 

最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。

 

重荷が人をつくるのじゃぞ。
身軽足軽では人は出来ぬ。

 

怒ったときには、百雷の落ちるように怒れ。

 

不自由を、常と思えば、不足なし。
心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。

 

真面目で、主君思いで、協調性もあり、勤勉な上に仕事もできる。そんな心と能力を持った人間はトップクラスの良臣だ。しかし、心ばえはそこまで良くなくても、何か優れた能力を持った者ならば採用すべきだ。

 

世におそろしいのは、勇者ではなく、臆病者だ。

 

いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。

 

決断は、実のところそんなに難しいことではない。
難しいのはその前の熟慮である。

 

天下は天下の人の天下にして、我一人の天下と思うべからず。

 

人を知らんと欲せば、我が心の正直を基として、人の心底を能く察すべし。
言と形とに迷ふべからず。

 

愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。
でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。

 

われ独り出頭して、一人して事を埒あけたがるように致す、これ大なる病なり。

 

最初に軽い者を遣わして埒があかないからといって、また重い者を遣わせば、初めに行った者は面目を失い、討ち死にをするほかはない。

 

ブログ管理人のコメント
他の三英傑の織田信長豊臣秀吉と較べてのんびりしたイメージのある徳川家康ですが、忍耐強さと部下思いであることが各名言から伝わってきます。徳川幕府が非常に長く続いたのも、この慎重さと根気強さのたまものだと思います。

 

徳川家康 名言格言言葉徳川 家康(とくがわ いえやす) / 松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。海道一の弓取りの異名がある。

徳川家康は、織田信長と同盟し、豊臣秀吉と対立・臣従した後、日本全国を支配する体制を確立して、15世紀後半に起こった応仁の乱から100年以上続いた戦乱の時代(戦国時代、安土桃山時代)に終止符を打った。家康がその礎を築いた江戸幕府を中心とする統治体制は、後に幕藩体制と称され、17世紀初めから19世紀後半に至るまで264年間続く江戸時代を画した。

家康は健康に関する指向が強く、当時としては長寿の75歳(満73歳4ヵ月)まで生きた。これは少しでも長く生きる事で天下取りの機会を得ようとした物と言われ、実際に関ヶ原の合戦は家康59歳、豊臣家滅亡は74歳の時であり、長寿ゆえに手にした天下であった。
その食事は質素で、戦国武将として戦場にいた頃の食生活を崩さなかった。麦飯と魚を好み、野菜の煮付けや納豆もよく食べていた。決して過食することのないようにも留意していたといわれる。酒は強かったようだが、これも飲みすぎないようにしていた。生薬にも精通し、その知識は専門家も驚くほどであった。

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