江戸時代初期の剣術家 兵法家 二刀を用いる二天一流兵法の開祖
あれになろうこれになろうと焦るより富士のように黙って自分を動かないものに作り上げろ。世間へ媚びずに世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値打ちは世の人が決めてくれる。
兵法の道において、心の持ちようは平常の心と変わってはならない。平常のときも戦いのときも少しも変わらず、心を広く素直にして、緊張しすぎず、少しも弛まず、心に偏りがないように、心を真中におき、心を静かに揺るがせて、その揺るぎのなかにも一瞬たりとも揺るぎを失わないように、よくよく吟味すべきである。
武士は己を知る者のために死す。
太刀は敵の出方により、場所により、形勢により、どう構えようと敵を斬り易い様に持てば良いのである。上段だの、下段だのと言って、固定した構えに拘泥してはいけない。構えはあって、無きものである。
人のまねをせずに、その身に応じ、武器は自分の使いやすいものでなければならぬ。
勝負とは、敵を先手、先手と打ち負かしていくことであり、構えるということは、敵の先手を待つ心にほかならない。「構える」などという後手は邪道なのである。
打ち込む態勢をつくるのが先で、剣はそれに従うものだ。
敵を動揺させることは肝要である。ひとつには「危険と思わせること」、ふたつには「無理と思わせること」、みっつには「予期しないこと」をしかけることである。よく吟味すべきである。合戦では、動揺させることが肝要である。敵が予期せぬときに激しくしかけて、敵の心の動揺が収まらないうちに、こちらが有利なように先手をかけて勝つことが肝要である。
多数の人間と戦う時は、こちらが待っていてはいけない。敵が四方から攻めかかってきても、むしろ、こちらから、一方へ追い回す心で向かっていくべきである。待っていてはいけない。こちらから強く切り込み、敵の集団を追いくずし、切りくずしていくのである。
よく吟味してつかうにおいてはその家久しく崩れがたし。
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書物を読むばかりでは兵法の道に達することはできない。この書に書き付けたことを、自分自身のこととして、ただ書物を見るとか、習うとか思わず、物真似をするというのではなく、すなわち、自身の心の中から見出した道理とするよう、常にその身になって、よくよく工夫しなければならない。
武士といえば、常に死ができている者と自惚れているようだが、そんなものは出家、女、百姓とて同様だ。武士が他と異なるのは、兵法の心得があるという一点においてだけだ。
心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえず。
初心わするるべからず。
兵法の智恵は、とりわけ稽古と実戦では違う。戦場では、万事あわただしいときであっても、兵法の道理を極め平静な心が保てるよう、よくよく吟味しなければならない。
世の道にそむくことなし
身に楽しみをたくまず
よろづに依估(えこ=えこひいきすること、頼ること)の心なし
身をあさく思い、世をふかく思う
我ことにおいて後悔せず
善悪に他をねたむ心なし
いづれの道にも、別れを悲しまず
恋慕の思いによる心なし
わが身にとり、物を忌むことなし
私宅において望む心なし
一生の間、欲心思わず
こころ常に道を離れず
身を捨てても名利は捨てず
神仏を尊んで、神仏を頼まず
身に楽しみをたくまず
よろづに依估(えこ=えこひいきすること、頼ること)の心なし
身をあさく思い、世をふかく思う
我ことにおいて後悔せず
善悪に他をねたむ心なし
いづれの道にも、別れを悲しまず
恋慕の思いによる心なし
わが身にとり、物を忌むことなし
私宅において望む心なし
一生の間、欲心思わず
こころ常に道を離れず
身を捨てても名利は捨てず
神仏を尊んで、神仏を頼まず
道というものには、学者・僧侶・茶人などの風流者・礼法家・能役者などの道があるが、これらは武士の道ではない。武士の道ではないけれども、これらの道を広く知れば、それぞれに納得するものがある。いずれも人間は、それぞれの道々によく研鑽を積むことが肝要である。
千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす。
ブログ管理人のコメント
武蔵の記した兵法には現代の心理的な対人戦略や努力全般に充分に使える物が多く、とても勉強になります。また、戦いで生き残るためには勝てそうにない敵との戦いは避ける、という武蔵の考え方も大事だと思います。
武蔵の記した兵法には現代の心理的な対人戦略や努力全般に充分に使える物が多く、とても勉強になります。また、戦いで生き残るためには勝てそうにない敵との戦いは避ける、という武蔵の考え方も大事だと思います。
宮本 武蔵(みやもと むさし、天正12年(1584年)? – 正保2年5月19日(1645年6月13日))は、江戸時代初期の剣術家、兵法家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。また、重要文化財指定の水墨画や工芸品を残している。
『五輪書』には13歳で初めて新当流の有馬喜兵衛と戦い勝利、16歳で但馬国の秋山という強力の兵法者に勝利、以来29歳までに60余回の勝負を行い、すべてに勝利したと記述される。
京都の兵法家吉岡一門との戦いや巌流島での試合が後世、演劇、小説、様々な映像作品の題材になっている。著書である『五輪書』は日本以外にも翻訳され出版されている。国の重要文化財に指定された『鵜図』『枯木鳴鵙図』『紅梅鳩図』をはじめ『正面達磨図』『盧葉達磨図』『盧雁図屏風』『野馬図』など水墨画・鞍・木刀などの工芸品が各地の美術館に収蔵されている。
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