日本の小説家 詩人 劇作家 画家
この道より、我を生かす道なし、この道を歩く。
自分の力に合うことだけしろ、その他の事は、おのずと道が開けてくるまで待て。
才能で負けるのはまだ言い訳が立つ、しかし誠実さや、勉強、熱心、精神力で負けるのは人間として恥のように思う。他では負けても、せめて誠実さと、精神力では負けたくないと思う。
生と死は相反するものではないのだ。両方が協力して人間を生かそうとしているのだ。生の喜びだけでは人間を生かすことが出来ない。一方、死の恐怖があって人間を生かせるだけ生かそうとしているのだ。
尊敬すべき幸福な人は、逆境にいても、つまらぬことはくよくよせず、心配しても始まらないことは心配せず、自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、根本から再生の努力をする人である。
人生は楽ではない。そこが面白い。
ものになるかならないかは、実に一寸したところで決まるのだ。昨日までものにならなかった人が、今日はちゃんとものになっていた、そういう事実を自分は何度か見た。
人生はむつかしく解釈するから分からなくなる。
賢い人だけが、次の波を待つ。
幸福になるには、理想と現実の関係を知らねばならない。
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まかぬ種子は生えぬと言うが、我等は不幸の種子をまかず、幸福の種子をまくように注意すべきである。
趣味ということは馬鹿に出来ない。人間の上等下等は趣味で大概きまる。
心の美しい者は、皆に愛されるのは事実である。そして恐らく運命にも愛されるであろう。
他人がどうであろうと自分さえ、ちゃんとしていればいい。するだけのことをすればいい。
青年のくせにぐうたらだったり、怠けることを考えたり、快楽に溺れて平気でいたりする者は、理想を持たない、現実の敗北者である。
結婚するものも仕合せだし、しないものも仕合せだ。どっちにも人間としての喜びがある。
自然、必然、当然。三つのものの、合一する道を歩く確かさ。
僕は運命を信じないのです。ただ実力を磨くことだけを信用しているのですよ。
ブログ管理人のコメント
現実のうまくいかなさを認めた上で、幸せになるために必要な精神修養や現実的な解決策を提示してくれる氏の懐の広さには感服します。現実を少しずつ良くしていくからこそ現実の延長線上にある理想に近づけるのだと感じさせてくれます。
現実のうまくいかなさを認めた上で、幸せになるために必要な精神修養や現実的な解決策を提示してくれる氏の懐の広さには感服します。現実を少しずつ良くしていくからこそ現実の延長線上にある理想に近づけるのだと感じさせてくれます。
武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、1885年(明治18年)5月12日 – 1976年(昭和51年)4月9日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。仲間からは「武者」(ムシャ)の愛称で呼ばれた。位階は従三位。文化勲章受章。授与された称号には名誉都民などがある。日本芸術院会員。
実篤は白樺派の思想代名詞的存在で、理想郷の建設に代表される理想主義的・空想社会主義的行動には現実離れしているという批判もつきまとった。また、気紛れで始めたことを簡単に投げ出すという無責任とも取れる言動を批判されることもあった。ただしその作品は必ずしも彼の思想的背景に依るものではなく、それゆえ現代に至るまで広く一般に読まれている。
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