カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者
一切れのパンではなく、多くの人は愛に、小さなほほえみに飢えているのです。
所有すればするほど、とらわれてしまうのです。より少なく所有すれば、より自由でいられます。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
私たちは、成功するためにここにいるのではありません。誠実であるためにここにいるのです。
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります。
あなたは、あなたであればいい。
神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。
あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。
短くて口に出しやすい言葉でも、心のこもった言葉はある。そんな言葉はいつまでも心の中に輝き続ける。
富める人のほうが貧しいと思うときがあります。富める人のほうが内心孤独であることが多いのです。
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もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは神がその人たちを愛していないからではなく、あなたが、そして私が与えなかったからです。
説教してきかせても、それは人とふれあう場にはなりません。ほうきをもってだれかの家をきれいにしてあげてごらんなさい、そのほうがもっと雄弁なのですから。
昨日は去りました。明日はまだ来ていません。わたしたちにはただ、今日があるのみ。さあ、始めましょう。
大切なことは、たくさんのことを成し遂げることでも、何もかもをすることでもありません。大切なことは、いつでも何に対しても喜んでする気持ちがあるかどうかなのです。貧しい人々に奉仕しているとき、私たちは神に仕えているのだ確信していることなのです。
人は不合理で、非論理的で、利己的なものです。ですが、気にすることなく、人を愛しなさい。
先進国にも、ひとつの貧しさがあります。それは、お互い同士、心を許していない貧しさ、精神的貧困、淋しさ、愛の欠如から来る貧しさといっていいでしょう。愛の欠如こそ、今日の世界における最悪の病です。
この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。
大切なのは、どれだけ多くをほどこしたかではなく、それをするのに、どれだけ多くの愛をこめたかです。大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることに、どれだけ愛をこめたかです。
今、この瞬間幸せでいましょう。それで十分です。その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです。
世界平和のためにできることですか?家に帰って家族を愛してあげてください。
ブログ管理人のコメント
神に仕える修道女の身でありながら、神の奇跡に頼らずに人が身近な人を愛するように説く姿勢に意外さと親しみやすさを覚えます。
神に仕える修道女の身でありながら、神の奇跡に頼らずに人が身近な人を愛するように説く姿勢に意外さと親しみやすさを覚えます。
マザー・テレサ(Mother Teresa、本名はアルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ (Agnesa/Antigona Gongea Boiagi)、アルバニア語でアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ (Agnesë Gonxhe Bojaxhiu)、1910年8月26日 -1997年9月5日)はカトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。
「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。カトリック教会の福者。コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。
生前からその活動は高く評価され、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。
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